五美大展とメディア芸術祭で感じたアートとデザインの違い

‌ご無沙汰してました。モンブランです。
今まではご無沙汰していた理由などは後ほどの投稿でフォローするとして、、

3月4日に新国立美術館で行われていた。五大美術大学の卒業制作展「五美大展」と同開催地だった、「文化庁メディア芸術祭」に行ってきました。
本命は五美大展だったのですが、元々行く予定だったメディア芸術祭も時間が許す限り、、て感じで見てきました。

※以降、少々辛口かもです。

やはり美大、となると、スケールの大きな油絵や彫刻などや、ちょっと奇抜な、サイケデリックな作品など、バリエーションは非常に豊かな展示会でした。

でも、色々な作品を見ていって、同時に感じたのは「変わらない感」と「自己◯◯」という気持ちでした。

油絵、彫刻というのは、芸術であり、それ単体としては非常に魅力あふれるものです。
「評価された場合」に限っては、です。
制作者の人達は、卒生のためにあるいは命を削ってでも作品に没頭したのは間違いありません。
でも、出来上がった作品に私が感じた感情は、自分だけで作ったが故のぬるさ、甘さ、惰性に妥協でした。
何故こんな事をあえて言っているのかというと、去年の五美大展にも行ったため。
去年の展示会の方が、正直インパクトは凄かった。

作品というのは、難しいもので、
自分が伝えたいことを描くというと言葉は情熱的ですが、ああ、この人は何か伝えたいんだね、としか伝わってこないのほとんどです。
オリジナルキャラがいたとして、その作り手は自分の中で200の設定があったとしても、人からすれば、25の容姿から見える特徴しか掴めないのと一緒です。
思い入れがある分、他人からは雲隠れしてしまいます。今年の作品はそれは多かった。

高校の時に、仲の良い理科の先生に自分の描いた油彩を見せました。
その時に言われたことは「で、君はこれで何を伝えたいの?」
その言葉を、今自らが美大の作品達ぬ問いかけている気分でした。

コンセプト。

アート作品とデザイン物の違いはそこかもしれません。

アート作品のコンセプトが非常に感情的であり、思想的、しかも作る人間によっては、それすら雲隠れする。
それは人にとって好奇心と日常では味わえない数奇性を生む。

対し、デザインというものには、コンセプトが合理的。例え感情的でもそれを明確に人に伝える必要がある。
わかりやすさ、伝わりやすさ、スーッと入ってくる快感を生むのかもしれません。

この差を感じたのが、五美大展の後、ササッとしかできなかった。メディア芸術祭でした。

メディア祭もどちらかというとアート寄りやもしれませんが、作品に対してコンセプト、プロセスが発表され、その内容はとてもストーリー性のある魅力的なもの。
それを、わかりやすく、限られたスペースで明示していました。

比較対象の差があるやもしれませんが、
今回、一日で2種の展示会を見て、自分の中でデザインとアートの違いについて、モヤモヤした部分がスッパリしました。

かつて、油彩や、デッサンをし、
今はデザイン会社に務めているわけで。

ずっとアートとデザインの境界線をゆらゆらしながら、自分はどっちかなーと思いながら、過ごしてきましたが、色々と納得しました。

少なくとも、私がアーティストではなく、デザイナーを目指し、進んだのは間違っていない、みたいです 笑
自分のかつてに作品も内向的、いわゆる自己満足的な要素が多かったのですが、同時にそのことに対して、非常にやきもきしていました。
その点、分野にもよりますが、デザインという、伝える必要がある制作をしているというのは、自身の、もしくはクライアントの伝えたいことを如何にグラフィカルに展開するかを学び、実践できる環境は非常に有益な環境なんだなと感じています。

長々となりましたが、
この内容は、私があくまで一個人として感じたことであり、決して思想的な批判ではありません。あくまで個人の感想なので、あしからず。
実際、魅力的な作品はたっくさんありました。コンセプトやプロセスが良く明示されてわかりやすい作品もありました。あくまで、五美大展全体を見た上で感じたことです。

本当は、デザインとアートの明確な境界線は自分なりに持っているのですが、それは今回のテーマにちょっと合わないきな臭い話も入ってくるので、また、次回も機会にでも書いてみます。

ではではー。